ねんねんころりよ おころりよ 坊やの子守りは どこへ行った あの山越えて 里へ行った 里のおみやげ 何もろた でんでん太鼓に 笙の笛 ねんねんころりよ おころりよ 意味なんて知らない子どもを、あやしているのは 奉公している女中で、そのときの 境遇を歌ったものとされている。
何語か分からないけど、詩吟とかに近い感じで、ラジオ体操の歌ぐらいの短さの歌。
様式美をもった唄げんか/ 宇目郷一帯に見られる、喧嘩文句のやりとりに終始する唄げんかは、まったく同一の旋律の単調かつ平凡なくりかえしである。
そんな伊勢神宮のまわりでは、土産屋も繁盛しただろう。
現在伝えられている子守唄は、歌詞を替えて唄っているものも多いとされている。
3回ぐらい繰り返したと思う。
初めて付き合った彼女だったので浮かれていたのもありますけど、思いっきり恋愛感情も常識も吹き飛びま. 青森県の「南部子守唄」 ねんねろや ころころ ねんねこして おいたなら あんずきまんまさ ごごかけて もしもそれが おいやなら 白いまんまに しゃけのよ もしもそれが おいやなら あんころに しょゆだんご このあとも、寝てくれたら飴玉や麦せんべい、パン、むぎまんじゅうなどいろんなものをあげると続きます。
そして、この男子は3日後に足のない死体で発見されたとか……。
「寝かせ歌」はその言葉通り、我が子を眠らせようと子供を抱いたり身体を撫でたり、リズミカルに体を叩きながら歌う子守唄のこと。
足を轢かれて歩けないためおべべをとりにこれない、ということなのでしょうか。
ほかの土地でも「笙の笛」が広まっていたというから「でんでん太鼓」と一緒に持ち帰っても、土産としておかしくはないだろう。
ごはんも食べられないとかで みるみる痩せてる。