話は変わりますが、先の什虎の戦いでも開戦直後に魏将・馬介が秒殺でやられていたことを覚えていますか? これまでも合従軍、鄴など大きな戦いでは開戦直後に名のある武将が犠牲になっています…。
」 何とも厳しい司馬遷の評価ですが、功績のある蒙氏一族などを葬った悪臣・趙高の企ては、最後に趙高自身に刃が向けられると共に、秦の滅亡という結果にうながっていくことになります。
一つずつ 詳しく解説します! 飛信隊の待機 いつも早く武功をあげたい飛信隊の信ですが、待機命令が出ており、動くことができません。
紀元前248年:趙を攻撃して城邑(じょうゆう:城壁に囲まれた町)を37奪う。
ライバルの信を何かと気にかけていて、彼が軍法会議にかけられたときには 裏工作をして、彼を救いました。
騰軍の要である隆国軍の持ち場に、 中央からを打ち破ろうと攻め込んできた。
秦国内でも最も一番関係が長い二人ではあります。
もどかしい思いをしていた信や飛信隊メンバーでしたが、ついに桓騎軍に配属されるでしょう。
しかし、こちらも同じで、馬呈軍を趙軍本隊から引き離せるだけ離し 二分されていた楽華隊の一隊が馬呈軍を側面から攻撃しました。
対する趙の軍は、岳嬰・馬南慈・趙峩龍が率いる30,000の部隊。
次の皇帝の座を狙う胡亥と側近の趙高、李斯に自殺を命じられます。
そのことで周りの楚軍は、ざわつき始めました。