さらに、二行目に『ぼんやり』という言葉が出てくるが、これは目を引く、というのも芥川が死に際して『ぼんやりとした不安』という言葉を遺していて、『ぼんやり』とは芥川にとってどんなパーソナルな感覚を持つ言葉かということを思い起こさせるからである。
また、芥川の時代と違って、私たちが住んでいるこの現代は今後もたぶんそうだが、どんどん複雑化していっている。
誰もが自分こそが正しいというものの、真実はとうとう見えません。
小娘は何時かもう私の前の席に返つて、 不相変 ( あひかはらず ) 皸 ( ひび )だらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。
二等客車は、大正時代中頃まで、ロングシートが主流でした。
「 蜜柑は小説ではなく、エッセイと言ったほうがいい」という意見もあるように、「蜜柑」は芥川自身の体験をもとに書かれた作品です。
横須賀線の路線の特徴は鎌倉、逗子など三浦半島の相模湾側を走り、中ほどで東京湾側に折れて横須賀に向かう丘陵地帯を走るルートのためにトンネルが多くなっていることがあげられる。
所がそれよりも先にけたたましい 日和 ( ひより )下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思ふと、間もなく車掌の何か云ひ 罵 ( ののし )る声と共に、私の乗つてゐる二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、 慌 ( あわただ )しく中へはいつて来た、と同時に一つづしりと揺れて、 徐 ( おもむろ )に汽車は動き出した。
辛く厳しい日々を、純朴な行為が忘れさせてくれます。
が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。
『 或 《 ある 》曇った冬の日暮である。
するとその瞬間である。
だから私は腹の底に依然として険しい感情を 蓄 《 たくわ 》えながら、あの霜焼けの手が硝子戸を 擡 《 もた 》げようとして悪戦苦闘する 容子 《 ようす 》を、まるでそれが永久に成功しない事でも祈るような冷酷な眼で 眺 《 なが 》めていた。
小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴かうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾頼の蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
あの 皸 ( ひび )だらけの頬は 愈 ( いよいよ )赤くなつて、時々 鼻洟 ( はな )をすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しよに、せはしなく耳へはいつて来る。
するとその瞬間である。