エリート層の人物を農村に強制疎開させ毛沢東が政治犯(反毛沢東派)を合法的?に殺すため(1日たしか700kcalの食事しか与えない)の方法で衰弱死させたそうです。
生還者による拷問の様子の絵画 部屋の壁には、かろうじて生き残った施設の収容者による絵画が飾られています。
最大の悲劇は毛沢東にだまされたポルポト時代の虐殺です。
共通するのは自分の正義、そう、正義感が人を殺すのである、カンボジアの現場を見て、そう思った。
その姿を見て展示の内容がいかに悲惨なものか想像できました。
トゥクトゥク• ~「トゥールスレン虐殺犯罪博物館(Tuol Sleng Genocide Museum)」 ここは「独立記念塔」からもそんな距離がなかったので、ゆっくりと街中を散策しながら歩いて行きました。
血糊がぺったりと残っていて雰囲気が重く、居心地が非常に悪いです。
クメール・ルージュ支配下の政治犯収容所 原始共産主義を掲げ、理想の国家建設を目指したクメール・ルージュの支配下で誕生した政治犯収容所「S21 トゥールスレン 」。
抗うことのできない川の流れのように、その後の人生を決定づける分水嶺の残酷さを思いました。
ポルポトと対立するヘンサムリンとベトナムはソ連が支援した。
トゥール・スレン虐殺博物館とは トゥール・スレン虐殺博物館 別称:S-21 は1975から1979の約4年間に、クメールルージュによって連行された人たちが、拷問と虐殺を受けた収容施設だ。
異常気象による雨季の雨量は想定外で、約100年になる建物の老朽化のためか、施設の維持管理は大仕事のようである。