これは三国同盟側にも伝えられた。
上杉謙信からしたら武田信玄は助ける必要のない敵にあたるんですが、あえて塩を売ってあげて救ってあげたと。
だから、俺のを貸してあげた。
その印象がそのまま武田家中に語り継がれたことで、この逸話は「救済」や「正道」みたいなところではなく、「風流」のカテゴリに属することとなったのではないだろうか。
それどころか、定価を改めさせないとも伝えている。
T川の中学は人数がギリギリだから代わりの選手もスパイクもない。
そこで出来たのが塩の産地より塩を運んでもらうための「塩の道」とよばれるルートです。
親分は「おれに任せておけ」とすべての券を買い取り、若い衆を動員した。
概ね上記のような意味合いで用いられることわざです。
砂糖は誰に送る? photo by では砂糖はどんなときかというと日頃の感謝を伝えるときに送りましょう。
ただし、ここでは今川氏真と北条氏康ではなく、織田信長と氏康が塩留めを実行するなど、部分的にはほかの記録と相違するところがある。
「塩止上杉謙信書通之事」と題する項に、塩送りの逸話があり、このときすでに、謙信が塩の値上げを規制する筋書きとなっている。
では、沿岸部以外の人たちはどのようにして塩を手にいれていたのでしょうか。
謙信公御年譜の記述は、最近の研究では間違いがあることがわかってきました」 何をもとにこの部分が書かれたのかわかりませんが、上杉家の歴史をつづる中で脚色された可能性があるようです。
また、「塩の日」というものも存在するんですよ。
歴史事実は難しい……。