翌1977年の第2期は、四冠を保持する挑戦者・を迎え、藤沢はたちまち1勝3敗に追い込まれる。
この間、加藤正夫は3度棋聖に挑み、奪取すれば趙に続くグランドスラム達成となったが、全て小林の壁に阻まれた。
対して藤井七段は読んでいたか、すぐに香を打ち返し、合駒でブロックします。
五番勝負は6~7月と12月~2月の2回行われていたという事で、トップ棋士は年中棋聖戦の対局をしていた印象があると言います。
2003年から2010年まで、1期を除いて山下は毎年挑戦手合に登場しており、現代の「棋聖戦男」と呼ばれた。
読売新聞はこれに反発し傘下メディアを通じて日本棋院の対応を批判し続け、1975年8月には日本棋院を相手にした訴訟を起こした。
息詰まる終盤戦となりました。
S、A、Bは総当たりリーグ戦で優勝を争う(B1とB2の優勝者はプレーオフを戦い、Bの優勝者を決める)。
1年に2回タイトル戦があるという事でタイトル保持者が番勝負にかけることができる準備期間も短く、若手の活躍が目立った棋戦でもありました。
現行の年1期制となったのは1995年度である(ちょうどが七冠独占を果たした年度に当たる)。
そしてこの手は読みにあったのかどうか。
藤井攻撃陣で残った銀と桂、渡辺玉をしばる金銀3枚が、藤井玉の受けにも役立っています。
8人が二次予選に進む。
2020年2月13日閲覧。