雷土軍所属で扈輒軍との戦いでは、龍白公の息子である曹還を捕らえた。
自他共に厳しい激情家。
戦争は金を得るための仕事だと捉えており、合従軍編で蔡沢が提示した金額に応じて、離脱を決意しました。
毒兵器を使って相手の衰弱を図るのが戦い方なので、張唐のような剛将に、接近戦に持ち込まれると流石に分が悪かったようです。
咸陽へ凱旋後、政から将軍になるために姓が必要だと教えられ、漂が「」の姓を与えられたことを知って自身も「李」の姓にすることにし「 李信(り しん)」と名乗ることを決めた。
これは政陣営が圧倒的に分が悪いスタートであったこともあり、刺客を信や山の民と共に撃退したり、呂氏四柱のを味方に付け、弟の成蟜を更生させたりと、政が確実に成長し、陣営の力を強くしていく過程と捉えることができますね。
合従軍編ではバンコ族と戦っていたが、窮地の秦国を救うべくそれまでの全ての戦績と犠牲を投げ打って蕞攻防戦に援軍として参戦。
考烈王の死後に考えを翻し、考烈王の弟に王位を継がせようとして李園に刺客を送りますが、逆に暗殺される運命を辿ります。
来輝(らいき) 声 - 蒙武傘下将軍。
"祭"が行われたことと羌礼が羌識を殺したことを知り、闇を彷徨う羌礼の心を救うために決闘に応じ、羌識の最期の言葉を思い出させることに成功し、羌礼の心を救う。
始皇十二年に政が呂不韋が隠遁している河南城を訪問した際には、護衛として同行している。
王賁の元教育係。
これが政と信の最初の出会いでした。
弓の腕前は父や兄譲りであるが、気が弱い一面を見せる。