そんな山本をいつも優しく慰めてくれたのは母だった。
プレイバック・シリーズ 山本リンダ - 1987年 1990年代• と言いつつも、筆者のリンダとの出会いは、当然ミノルフォン時代ではない。
そして現在。
母に楽をさせたいと思い、モデルのオーディションに応募。
阿久悠さん、 都倉俊一さんコンビの、 今までのイメージとはガラッと 変えたへそ出しルックで歌う 「 どうにもとまらない」を発表し、 これが大ヒット! 再び歌手として脚光を浴びました。
それをお母さんから聞いていて、 事務所の社長さんに話して 「それいいね」になったみたいですよ。
この番組は大阪ローカルの放送… リンダさんは知るよしもなく、もちろん聞いていませんでしたが、録音していた山本さんのファンが所属事務所にテープを送り、山本さん側が内容を知ることとなりました。
リンダがいっぱい - 1991年• - 1991年8月1日• この後、「狙いうち」「きりきり舞い」などヒットが続き、さらに夏木マリ、金井克子といった「変身組」が次々とアクション歌謡路線に参戦して来る。
最初は 東京六大学野球で作詞の 阿久悠さんの母校、 明治大学が導入したのが始めらしい です。
『創価学会の幹部を理想の男性像とするあまりに他の男性が好きになれなかった』のだそうです。
山本リンダの結婚相手は7歳年上で、夫の職業は、社会福祉を専門とする大学教授だそうです。
あそこまでにはなれないにしても、あんな素敵な65歳になれたら良いなぁ。