本当に志村がいなくなってしまったから、民生は『茜色の夕日』を歌ってくれているんだと思った。
そしたら告知もしなかったけれど、ファンが来てくれた。
「LIFE OF FUJIFABRIC 」は、フジファブリックの15年間を親交の深い人々のインタビューとともに振り返るという番組でした。
の、、はライブハウスのバイトの先輩だった。
様々な想いが詰まっていて、とても複雑な意味もこもっていた歓声だと思う。
僕ら世代より「お兄さん」である志村(1980年生)は、思春期の子供がちょっとひねくれている、というのをわかった上で、このような曖昧な表現でエールを送ってくれていたのかな、なんて思ったりもする。
2019年9月7日にBSフジでオンエアされた「LIFE OF FUJIFABRIC」での、くるりの岸田繁によるフジファブリックの山内総一郎評が最高でした。
ゆるくてマイペースにMCをしてギターを弾いて歌う。
Gibson B-25 『』MVで使用。
「茜色の夕日」「若者のすべて」等、多数の楽曲を作詞・作曲。
彼は自殺じゃないんです。
「待ってました!」とか「うれしい」という意味での歓声とは違ったと思う。
「志村さんが亡くなったあとも、 富士吉田で志村正彦のことを多くの人に知ってほしいと活動している人たちがいるらしい」 そんな話を聞いて、富士山の見える町、富士吉田を訪れた。
志村が居ないことを現実に思えかった。