こんなことになったのは藤井医師のせいだ。
そして、桜庭章司は1965年3月3日に退院しますが、藤井医師は退院時に手術の承諾書にサインをさせました。
ちなみに、ロボトミー手術は当時の精神医学会では画期的な治療法として脚光を浴びていた治療法です。
252件のビュー• その後、 職を転々とし土木作業員として働いていた26歳の時に またしても賃金不払いと不当解雇への抗議に社長宅へ乗り込み再び恐喝容疑で逮捕されます。
桜庭章司は藤井医師に 権力で支配されていたのです。
桜庭は幾つかの新聞社や雑誌社にクレームの手紙を書いて出した。
ロボトミー手術と同様、患者の頭皮を開いてから頭蓋骨を切り取って脳硬膜を開き、大脳間裂を広げて外科的な傷を加える手術をチングレクトミー手術という。
患者が訴えても、「精神病患者が言うことは信頼できない」と取り合ってもらえなかったのです。
372件のビュー• 桜庭の調べでは、午後6時半ごろ帰宅するはずだった。
そしてその後に桜庭章司は他の仕事場に行きましたが、ここでも給料未払いといった問題があったことから社長に直接いったんですが、このことも恐喝ということになり刑務所にいくことになりました。
1964年(昭和39年)3月、桜庭は東京都の妹宅に立ち寄った。
1979年(昭和54年)9月26日午後5時ごろ、桜庭(当時50歳)は藤井医師(当時53歳)との無理心中という形で決着をつけるべく、遺書を持って、バルビタール(長時間作用型鎮静・睡眠薬)などの薬物を服用したのち、東京都小平市の藤井宅にデパートの配達員を装って押し入った。
ある報道によると、20年前に比べ、65歳以上の検挙者数は4倍以上となり、今や全国の刑務所の被収容者は5人に1人が60歳以上なのだという。
出所後も彼は後遺症と副作用に悩み続け「ロボトミー手術(チングレクトミー手術)の問題点を世間に知らしめる」という意思の下、犯行に及んだ。