まず、前5世紀初頭に平民が組織的な市街退去を行い、貴族側から譲歩を引き出すことに成功する。
しかし 国家元首となる執政官を選挙によって任命し、王を必要としなかった政治制度は、確かに1人の人間に権力が集中する危険性を低くし、市民による権力の監視を制度化したものではあったのです。
紀元前2世紀にはヴェリテスで定着していたようですが、それ以前は、「ロラリイ」と呼ばれてたそうです。
前367年 制定 二人は護民官。
ただ、議論はしても、すでに規模が大きくなっているため、共和政をかつてのように保つことは、もうできなくなっています。
<島田誠『古代ローマの市民社会』1997 世界史リブレット3 山川出版社 p. Triarii 兵数 82 攻撃力 9 突撃ボーナス 24 武装タイプ 軽装 総合防御力 34 鎧 9 防御技能 17 盾 8 雇用費用 690 維持費 380 対騎兵ボーナス 最高の士気 強力な突撃 頑強 掘削可能(攻城戦時) 共和制ローマ軍の第3戦列を形成する「トリアリィ」です。
これは、1年で自宅に帰還させないと、農民の市民が多かったローマ軍では、畑が荒れてしまい生計を立てれなくなり、市民が路頭に迷ってしまうからという理由で制定されていたようです。
どちらも政治に口出し可能な層。
この姿勢は王政の頃と変わっていません。
しかし 元老院保守派との政争に破れ、兄ティベリウスは撲殺、弟ガイウスは自殺に追い込まれたばかりか、その支持者も死刑に処せられるなど、まさに非業の最後を遂げます。
古典古代の民主政 前510年、アテネでは市民によって独裁者が追放され、からへと大きく舵を切った。
共和政の動揺 前3世紀~前2世紀、やなどのローマの征服戦争の長期化と、からの安価な穀物の流入などによってが進み、貧富の格差が拡大したことは、共和政を大きく動揺させることになった。