また、二階に設置された梯子 (はしご)から時計塔に登ることもできます。
担当のお医者さんも驚くほど早い回復だったそうです。
AAと一緒に診察室に入ります。
こういう方がうちにはいっぱい来てます。
入院前はことばをひと言ずつ区切って、ほんとに苦しそうでしたが、今はフツウの飯田先生に戻っています。
そっぽをむいて話をしている感じになっているのですが、お聞きになることは、短く的確でした。
2015年11月16日発売の週間ポスト《医師が選んだ「胃カメラの名医120人」》に当院が紹介されました。
と言っても、まだ動くと苦しかったり、完全に通常運転に戻ったわけではないので、しばらくは自宅療養されるようすです。
その後は長野県医師会会長(明治37年〔1904〕)、信濃毎日新聞社長(大正4年〔1915〕)などの重職を歴任し、昭和7年(1932)に79歳で亡くなりました。
同年11月にそれまで名古屋県、伊那県の管轄であった南信のすべての地帯が合併して筑摩県となりました。
この人のようなのが、まさに自閉症です。
どうもいろいろわかっているようなのに、言葉がなかなか出ない。