それは単に好きなバンドというだけでなく、きっとどこかで自分の思いを代弁してくれるような存在だったんじゃないかと思うんですが、どうでしょう? 米津 まさにそうです。
ほとんどの日は、何組かが出演するイベントとなっており、この共演者を対バンと呼ぶ。
「なんか今日ネットで有名な人が出るらしいよ」と。
米津 そう思います。
そして、「その時の『こんな悪人が世にいるのか』と思った記憶が今なお人格の一部として機能してる実感がある」と綴り、米津にとってかなりの衝撃的経験だったことをうかがわせた。
—— まだまだ満足はしていない。
応援してたら子供の友達のお兄ちゃん 当時中2、3 、「おれ、頑張れ~って応援されるの嫌い。
ありがとう、米津さん。
」「天から与えられた人類への何かのメッセージかもですね、、、」といった共感の声が。
やはり米津玄師さん、ライブにも相当なこだわりがあるようです。
"痛みも孤独も全て お前になんかやるもんか"と敗北の女神へ吐き捨てる「ララバイさよなら」、険しい旅路をとことん軽やかに描く「翡翠の狼」も含む3曲を貫くのは、人は結局ひとりだが独りきりでは生きられない、だからこそ強くなることができる、という真理だ。
一方で、 《こんなのでキレるのか…》 《SNSやってるのに「お前らの意見なんか聞いてない」ってスタンスなのは謎やなほんと》 《こいつのTwitterヤバすぎやろ 狂犬か?》 など、ドン引き声も大量にあがったとまいじつが報じた。
同じステージに立てたっていうのは、それ自体が自分がやってきたことが間違いではなかったのかな、という疑問へのひとつの解答だな、と。
。