君たちの知識、技術が必要なのだ」 この呼びかけを信じた人々は、何も疑わず国の発展のためにポルポトの元に集まりました。
このトゥール・スレン博物館はプノンペン中心部にあるので再びトゥクトゥクでプノンペンに戻ってきました。
残ったのは子供だけ。
これがアルメニア人大虐殺です。
このキリングフィールドを訪れ、この場所で起きたおぞましい歴史は決して繰り返してはならないと強く思いました。
夏には裕福な農民が所有する土地を貧しい家庭に分配し各家庭の土地面積を統一した。
少数民族への同化政策 まず初めに行われたのが、カンボジアの少数民族の チャム族に対しての 同化政策であった。
中にはカンボジアに海外留学中だった方も居たそうです。
このような出来事が数十年前にあったばかりなんですね。
1975年にプノンペンから知識人が消える ポルポトが掲げた 「原始共産主義社会」とは、簡単に言うと 「全員、農民になって原始時代に戻ろう」ということです。
人民をかたっぱしからシベリア流刑、強制収容所送り。
当時少年兵士だった人達も今は50歳くらいのはずだよね。
都市部の住人はアメリカなどからの食料支援により食糧を確保することができていたが、地方では飢餓で苦しむ人が多く、また近代化が進んでいないために市場経済や貨幣制度が浸透していなかった。
もともとは高校だったみたい。