球団創設半世紀となったこの年は谷沢が球団史上2人目の通算2000本安打を達成したものの、5位に終わった。
はが監督に就任し、が入団。
翌29日には選手2人を4月5日まで自宅待機に、12人の選手・スタッフについては時間をずらして練習、仕事を行わせると発表。
2012年 - 2013年:「Join us ファンと共に」 2014年:「Start it Again 強竜再燃」• 1年を通してみると、序盤には先発投手陣の不調、野手では主力の井端がシーズン中盤から故障による長期離脱などがあり、一時は首位巨人に最大8ゲーム差をつけられたが、浅尾や高橋ら中継ぎ投手陣の活躍、和田や森野らがチームを牽引する一方で井端に代わってレギュラーに定着したら若手の台頭等もあり、後半戦から追い上げを見せた。
ベルト…茶。
しかし水原監督下で育った選手が以降大きく開花し、の優勝につながっていく。
この年は、優勝した巨人と10ゲーム差、大阪と同率の2位。
、井端弘和が自由契約で巨人 、中田賢一がFAでソフトバンクに移籍。
新外国人のトニ・ブランコが本塁打王と打点王の二冠に輝く活躍を見せ、前年不振だった立浪和義も代打で好成績を残して勝利に貢献した。
ベルト…茶。
中日の投手陣は、2月1日からブルペン入りすることが慣例。
より(名鉄)が球団経営に参加し、球団名も 名古屋ドラゴンズ(なごやドラゴンズ)に改称。
左袖マーク…金糸・濃紺縁の中日マーク。
また96年から2003年はヒゲが極めて長い。
一方、投手陣は柱として期待された大野、田島、又吉などがいずれも不振で、チーム防御率4. ベルト…青。
しかしではに2勝4敗で敗退。