) 信長の守役として幼少の頃から付けられていた、父の代からの家老格・林秀貞。
本能寺のように屋敷が燃やされはしませんでしたが、腐敗役人に対し厳しくし過ぎた事が大きな反発を招いた可能性もありますね。
それが「鳴かないホトトギス」=「味方として働かない敵将」は、味方に役立つよう働かせてやろうということか。
関東の治安も悪化し取り締まり強化され新たな改革も執行されて…と、まぁ… このころの情勢は詳しくないので、さらりと流す。
信長、秀吉、家康、幸之助の違いをよく表しているので、よく引用されます。
これは松浦静山の『甲子夜話』に記載されていた逸話。
ホトトギスを贈物にした人がいた、しかし鳴かなかったので三英傑は、 鳴かぬなら殺してしまえ 時鳥 ほととぎす 織田右府 おだうふ 鳴かずともなかして見せふ 杜鵑 ほととぎす 豊太閤 ほうたいこう 鳴かぬなら鳴くまで待よ 郭公 ほととぎす 大権現様 だいごんげんさま 以下略 このように松浦静山の所に、人が訪ねてきて戦国の三英傑の性格について上手い事言った詠み人知らずの狂歌があったので紹介したいと言い、それぞれ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仮託して詠んだ狂歌を書いたというそれだけの話です。
江戸時代の幕閣・役人にあわせて平たく考えるならば 働かない役人は クビにしろ。
結局は武田家を滅亡に追いやる織田信長ですが、時期を見て「妥当ではない」時期には強者に対し礼儀を尽くすことで戦闘を回避することができた、とても慎重な戦国武将です。
ホトトギスに例えればなんとなりましょうや? 働かない役人は クビにしろ。
何もかも力強く政策を推し進めていく事の出来るリーダーを心の奥深くで求め始めている。
少年時代から粘り強い織田信長 そもそも、信長はうつけと呼ばれた少年時代から一面では真面目で辛抱強い部分がありました。
」と、はっきり非難できないけれど、これに事寄せて言ってしまおう。
権現様 徳川家康 は忍耐の人。
兵農分離は農民は税を納める為、農作物や米を作ることに専念し、軍兵は戦にだけ集中するという政策を行います。
これはたとえ話に過ぎない事ではあるが上手く人の性格を現わしていると思う。