女性国際政治学者の中丸薫さんの著書(『天皇生前退位と神国・日本の秘密』)を読んでいると、興味深い事実が記されていました。
明治維新後は政争に敗れ、西南戦争を起こすが敗れて自刃しました。
そしてもう一つが「西郷隆盛」が写真嫌いだったこと。
確実に西郷隆盛の写真だと言えるものが見つかっていないこと。
明治10年 1877年 に私学校生徒の暴動から起こった西南戦争の指導者となるが、敗れて城山で自刃した。
西郷隆盛は、何故?写真を一枚も残さなかったのでしょうか? NHK大河ドラマの主人公『西郷どん』の西郷隆盛です。
たしかに当時、「写真を撮ると魂を抜かれる」という俗説があった影響か、西郷隆盛は写真を撮ることを嫌っていたと言います。
西郷さんの行動原理を司る『敬天愛人』の意味とは? そして敬天愛人思想が生まれたキッカケは何だったのでしょうか? 西郷隆盛 最後の言葉 西郷さんが最後を迎えることとなった西南戦争。
本書は、上に立つ者の心構え、政治とカネの問題、人生の道標、日々暮らしの心得といった群に分けた構成で、ビジネス論、リーダー論に留まらず、人の生き方を綴っています。
しかし結局本物を見て確認を取ることも、写真撮影に関わった人間に確認することも出来ず、この写真の西郷隆盛が本人であるとは言い切れませんでした。
・1873年(45歳) 対朝鮮問題をめぐり、「征韓論」を唱えるも大久保利通や木戸孝允と対立。
西郷隆盛の顔と言えば上野公園に屹立している西郷隆盛像が連想されるが、この像の人相は本物の顔ではない。