日常が激変してしまった今、新海監督は 「今、自分たちはコロナ禍の最中にいて、終わったときのことというよりは、今そのものを乗り越えることに必死ですよね」「今、たまたま自分がいるこの場所で、なんとか必死に生きていくということ。
計算能力が高く、頭のいい、しかし抜け目のないクズ。
だから第一に、法を必要とする定住生活を拒絶する人たちが生まれて非定住民になりました。
感情的劣化を被ると「言葉の自動機械」「法の奴隷」になり、ポジション取りにあくせくする「損得ロボット」になります。
最近僕は「感情の劣化」や「教養の劣化」などとよく言いますけど、ネットとかで「宮台の言葉が不快だわー」と書かれると、ヤッターって思います 笑。
鬼は人よりも強く、原則として首を切られるか、日光に当たらないと死にません。
まず、「自我同一性」とは、これまでもこれからもこの自分であるという「一貫した自分」や「これこそが自分自身だ」という感覚のことを指します。
春井さんはこの映画を観て最初にどう感じました?(ゴクリ) 春井 そうですね、まず思ったのは「 この作品のテーマは法外のシンクロだろう」ということでした。
春井 そう、普通そう思いますよね。
この「危機を経た傾倒」や「内発性」を持った自分の本質のまま、他者と向き合い共感して絆を築いて行くことが、今後もっとも求められるようになると私は思っています。
ついに全面化した天気=風景モティーフ それゆえに、今回の新作で新海が、自らの代名詞的なモティーフである「天気」=「風景」を、満を持して本格的に物語の主軸に据えたのも、そうした人物描写の希薄さと表裏の関係にあると理解できるでしょう。
山の斜面を登っていく形で学舎が続き、その頂上のあたりへと抜けて行きますと住宅地がありました。
利己性か利他性かというところで決定的に生き方が違うから、「鬼になれば得をするぞ」と言われても、まったく動きません。
応援してもらえると分かりやすくやる気が出るタイプなので、甘やかしてください。