すると19時過ぎに、初めて見る「東京発大阪行きの日航123便がレーダーから消えました」とのニュース速報が・・・ 速報が流れるとすぐにどの局もニュースに切り替わり、全てのテレビが中断されました。
ユーチューブのコメント欄にはパンツ見えないようにしてあげればいいのにという書き込みがたくさんありました。
墜落事故の後は、保健師をしていた母の遺志を引き継いで、看護師となり兵庫県の病院で働き始めて、1995年の阪神淡路大震災では多くのけが人の手当てをして活躍しました。
座席上の空気穴から空気が出ていたのかどうか、記憶にありません。
壁はちぎれたとか、破壊された、というふうではなく、継目が外れたと言う感じでした。
実際、テレビで報道があったあと、乗員の遺族は、一部の無理解な偏見や攻撃から解放される。
管制から日本の救難機だとの知らせを受けた。
犠牲者の中には、歌手の坂本九や、元宝塚歌劇団の北原遥子、阪神タイガース社長の 中 肇、ハウス食品社長の浦上郁夫、コピーライターの藤島克彦など著名人も含まれていました。
しかし、離陸してから12分後の18:24に航空機内の気圧を維持している後部圧力隔壁が破損するという緊急事態が発生しました。
ちょうどそのころになって、私のうしろのL5 最後部左側)ドア受持ちのスチュワーデスが、まわりのお客様に「座席の下にある救命胴衣を取りだして、つけてください」という指示を出しました。
お客様はこのときはじめて、座席ポケットのなかの『安全のしおり』を取りだしました。
安全姿勢をとった座席のなかで、体が大きく揺さぶられるのを感じました。
禁煙のサインはすぐに消えたのですが、着席のサインが消えていたかどうか、はっきりしません。
この脱落した後部は、尾根に沿って滑り落ち、衝撃が少なかったため火災に巻き込まれることはありませんでした。
油圧を喪失するということは、 操縦桿を使用した機体の制御が不可能な状態に陥ったことになります。
いつぶつかるかわからない。