江戸時代に記録のある地名。
炭焼きも生活の糧でありました。
犬目は,近隣の猿橋宿,鳥沢宿など十二支から名付けたという説があるそうです。
建物は2階家の棟割りで簡素な出桁造りが,固まりとなって点在しています。
白壁ではなく荒土ですが、日本古来の美しさを見せてくれます。
いまは、ブドウ、桃などの果樹の生産が主流になっています。
切妻型13軒、さらに蚕室のある民家が5棟、さらにあちこちに土蔵が残っています。
江戸時代の中期,信州高遠の北原伊兵衛が江戸へ向かう途中,うまい「白州の水」に出会い,酒造業を始めたのが現在の山梨銘醸(写真)です。
『全国寺院名鑑』(全日本仏教会寺院名鑑刊行会)によると、山梨県の宗派別の割合は以下の通りです。
茅葺きはさすがになくなりましたが、トタンで葺き替えた切妻型の古民家が至るところに点在。
こんな蚕室ははじめて見ました。
これは武田氏以来の伝統産業で,徳川幕府も積極的に奨励しました。