確実な未来の行く先がまったく分からない。
仏教を形作っている骨組みを、教行証といわれます。
日付は文献との整合を保つため、いずれも(宣明暦)表示を用いる(生歿年月日を除く)。
親鸞聖人がすべての人が救われる道を明らかにされると、信者や弟子が次々と弁円を離れて親鸞聖人のもとへ行ってしまいます。
京都の地は、昔から天皇がお住まいになっている都ですから、六角堂は親鸞聖人の当時も、色々な人が行き交う雑踏の中であったと想像されます。
親鸞聖人の世界は、そんな現代人に向かって、本当に空しさを超えてゆける世界のあることを教えているのです。
親鸞聖人は、社会秩序が崩壊し人々が塗炭の苦しみを強いられる「末法の世」に生まれ、来世への憧 どう 憬 けい にしがみつくほかなかった社会風潮の中で成長したのでした。
真宗門徒である私たちが、宗祖として仰ぐ親鸞聖人の墓所、それが大谷祖廟です。
貧富とか、美醜とか、意味があるとかないとか、ひとがいいとか悪いとか、仕事ができるとかできないとか、そういう価値基準の中で人間は、毎日、右往左往しているのです。
すべてが無常の中、特にはかなく無常と感じられるのは、人の死です。
法然上人のいない京へは今更行きたくもないし、越後に止まる気もない。
真宗大谷派は、1981年に「宗憲」を改正し「見真大師」の語を削除した。
顕如の示寂にともない本願寺を継承し本願寺第十二代となるも、により退隠を命ぜられる。
これは、老少善悪の人をえらばず、どんな愚かな者でもすくわれるから、行きやすい道、「易行道」といっています。