年表 西暦(年齢) 1876年(1歳)福島県三ツ和村三城潟の農家の長男として誕生(元の名は清作)。
蛇のことなど何も知らない英世でしたが、図書館に通い蛇の毒についての研究論文を読みました(発表された世界中の蛇の毒に関する論文をすべて読んだと言われる)。
その為今ではこれを疑問視する声もあります。
周りの人たちが「何とかしてあげたい」と思うほど、彼は常に一生懸命でした。
・1878年 (1歳) 囲炉裏に落ちて大やけどを負う。
東京修業時代の作- 「夏の夜に 飛び散る流星 誰か之を追ふものぞ 君よ快活に 世を送り給え」 -夏の夜空に飛び去る流星のように私から離れていったあなたを決して追いかけはしません、どうかあなた元気ですごしてください。
この研究はとても有名なものですよね。
12月26日、ウエンチ村で黄熱病らしき疫病が発生したとの報告を受け血液を採取に行きます。
アメリカへ 1899年清国でのペスト対策として国際防疫班に選ばれますが、放蕩で資金がなくまた血脇に工面してもらい清国へ渡りました。
毒蛇の研究 1901年、野口はフレスキナー博士の助手となり蛇毒の研究を開始します。
そこで野口は蛇毒、梅毒、黄熱病など、当時人々を悩ませていた病気の研究に没頭しました。
黄熱病と思われる病原菌を発見し、それをもとにワクチンを作り流行を終息させています。