羽賀との交際は、1999年に破局を迎えた。
梅宮さんの知人の芸能関係者は「アンナは2001年に一般男性と結婚。
さらに2013年に懲役6年の実刑判決が確定し、羽賀研二さんが沖縄刑務所に収監されてからは、 嫁である真由さんは月に2回のペースで面会に通っていたとも言われています。
もう疲れました」と脱力気味に話した。
むしろ、沖縄にいたことでスカウトされるのが遅くなったと言えそうです。
でも、みんなが言っている彼と、実際に私が接している彼が全然違うから、 「みんな、何言ってるの? 何でそんなに騒いでるの?」って、その時は思ってましたね。
2008年9月26日には、 立浪選手の義母が週刊誌にタレコミをし、破局理由として梅宮アンナの金銭感覚について訴えました。
ENCOUNT編集部. 高校時代にはバスケットボールで活躍 そんな暗い少年期を過ごした羽賀研二さんですが、高校に進学しバスケットボール部に所属すると、身体能力の高さから才能がみるみる開花。
交際はアンナが20歳の頃 1992年の熱愛報道されましたが、武田修宏さんは「アンナちゃんとは付き合ってない」と否定しています。
でも、梅宮さんは羽賀に莫大な借金があることも知ってましたから、交際に大反対したんです」と明かす。
一方、自身の恋愛観について梅宮は「スペースマウンテンに乗るような、スリルある恋愛を好んでしまう」とも告白している。
そして高校3年生の時には、大学のバスケットボールチームからスカウトが来るほどだだったそうです。